コラム

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感性アプローチによる「いきもの・ロボット」をデザインする

「かわいさ」の正体とは

1960年代のリアルマネキン(義眼つき)
1960年代のリアルマネキン(義眼つき)

 「かわいい!」と言うリアクションが、日常会話に広がり始めて久しい。その概念は、複雑さを帯びつつ増殖している。今日では、「かわいさ」の対極にあった一見不気味なものまで「かわいい」の対象にされることもある。こうした「かわいさ」の概念は、ものを購入する際の基準にもなっていることから、特に感覚的要素の強いファッションやインテリアグッズはかわいくなければ、その商品は売れないとさえ言われている。さらに興味深いことは、自らが「かわいい」と感じたものに対して、「これって、かわいくない?」と他人に共感を求める点だ。このように「かわいい」は、表層的で感覚的な価値評価に留まらない、人とものの関係と、人が関係したいもののあり方をも示唆している。

 「いきもののデザイン研究」に着手する以前、この「かわいい!」と言うリアクションに興味を持ち、かわいさの正体に迫るべく、空間演出デザイン学科3回生の「身体論」の授業の中で、「あなたにとってかわいいと感じるものを上げ、それがなぜかわいいかを分析的に述べよ」と問いかけ、レポートの提出を求めたことがある。最も一般的な傾向は、家で飼っている(いた)ペットを例に上げ、丸みのあるフォルムや柔らかい感触、眼の愛くるしさや尻尾の動きの愛らしさとともに、共に過ごす時間が生み出す関係の深まりが、かわいさを感じる要因であるとの記述だった。これは、実際のいきものと共生する関係から生じる「かわいさ」であり、愛情に繋がる感覚と言えよう。もう一つは、ぬいぐるみやキャラクター人形等人工物に「かわいさ」を求める傾向である。その要因は、「好きだからかわいい」と、極めて感覚的に表される傾向にある。その存在は、すべて人に委ねており、人がそのものにイメージを投影すること以外、関係が成立することはない。しかも直感的に「かわいい!」と感じたものとの関係が持続する保証はなく、飽きることもしばしばである。しかし、多くの人工物の中で、その関係が持続し、やがて愛着に変わり、時には精神的支柱にまで発展するケースがある。それはなぜか。多々あるものの中で、飽きられるものと愛着を持たれるものとの差異はどこから生まれるのか。まずは、動きも話もしないのに、80年間の長きにわたって、人との関係を保ち続けてきた、日本のマネキン人形について考察したい。

著者: 京都造形芸術大学 ものづくり総合研究センター 主任研究員 藤井秀雪
※この文章は京都造形芸術大学紀要「GENESIS」第9号に研究ノートとして発表したものの転載です。